自然と遊ぶ:ノーマット・ボルダリングという挑戦

Photo by Lee, W.T., USGS


クライミングを始めた当初から気になっていたことがあった。それはフリーソロ。スポーツクライミング(ルート)で、命綱を使わずに登攀することを「フリーソロ」と呼ぶ。とっても危険なので、そうそう行う覚悟はないが、なぜ多くのクライマーがフリーソロに憧れ、危険を冒してまで挑むのか?そこに何か重要なものがあるような気がして、いつもどこかで気になっていた。




過去記事:命綱なし地上800Mで微笑む天使。アレックス・オノルド。」


フリーソロの経験が無いので簡単には断定できないが、おそらくフリーソロの魅力は、岩との間に最もシンプルな関係性を確立でき、かつその関係性がフェアな状態になるのでは無いかと思っている。それは「岩と人間」という一対一の関係性で、それ以外には何も無いのである。単に「危険なことに挑戦したい」というわけではなく、それが「最もシンプルでフェアなクライミングである」という哲学が背後にあるのだと思う。


正直なところ、著者はルートクライミングがあまり性に合わないのだが、その理由は命綱による安全確保と、様々なギアの使用に起因する。人間が本来立ち向えるような大きさでは無い岩壁に登るのだから、当然のこと安全確保のための命綱は必要になってくる。そして、その命綱の支点確保のためにボルトやカム、ハーネス、そしてビレイヤーが必要になる。確かに数十メートルまで達した時の爽快感や、景色は何にも代えがたいものがある。そして、そこでの恐怖感との戦いは、たとえ命綱があっても容易なものでは無いし、その恐怖感を克服した一手に感じる達成感は忘れられない。ただ、どうしても様々なギアの使用と、岩との関係性に違和感が残っていた。そんな時に出会ったのがボルダリングだった。
(*決してルートクライミングを否定しているわけではありません。今でも機会を見てはちょこちょこやりますし、非常に楽しんでいます。ただ性に合うか合わないかの問題です)

ボルダリングでは、ほとんどの場合、命綱を使わない。安全確保はランディング地点に置かれたクラッシュパッド数枚のみだ。登っている時は「岩と人間」という生身の関係性を直に感じることができるし、シューズにチョークだけで出来るのでいたってシンプルだ。常に落ち方を気にしながら登らないと、すぐに怪我をしてしまう。

ただ、1つ気にかかっていることがあった。それはクラッシュパッドの存在感。今や、どこの岩場に行っても人気課題にはクライマーが群がり、その下には所狭しと色鮮やかなクラッシュパッドが敷かれている。念願の課題を登りきり、ガッツポーズを決めて下を見渡せば、そこにはクラッシュパッドの山。そして、本来シューズとチョークだけでシンプルに出来るはずのボルダリングだが、かさ張るクラッシュパッドを持って山に入らないといけないという違和感。確かに安全確保のためにクラッシュパッドは必要だろう。しかし、その安全が確保されている状態で、本当に「岩と生身の人間」というシンプルな関係性は築けているのだろうか?そんな疑問が残っていた。

そんな時、耳にしたのがノーマット・ボルダリングというものだった。これはジャンルというわけではなく、ある種のクライミング哲学、あるいはスタイルと呼ぶことができるだろう。その方法はいたって簡単。単にクラッシュパッドを使用せずに登攀するのだ。多くの場合、シューズの土や砂を拭うための足拭きマットのみを使用する。ボルダリングが一般的になってきた1990年代のビデオを見てみると、多くのクライマーがノーマットで登っている。それは、単にクラッシュパッドがまだ普及していなかったとか、基本的にランディングの良い岩場で登られていたためかもしれない。ボルダリングの聖地/誕生の地とも言われるフォンテーヌブローは基本的に砂地でフラットなランディングなので、クラッシュパッドが必要ないといえば必要ない。

ランディングの悪い岩場でも、クラッシュパッドを使用することによりトライ可能になっている現代と比べるとだいぶ状況が違うのかもしれない。ただ、1990年代のビデオを見ていると、そのスタイルはとってもシンプルでカッコイイ。決して難しい課題に挑んでいるわけではないが、クラッシュパッド頼りな、落下を想定した登り方をしていない。常に上体をコントロールし、比較的スタティックにムーブをこなしている。そして、スポッターが本気でスポットしている。現代のように、うまくクラッシュパッドに落ちれるようにするスポットではなく、本気で受け止めるような(ほとんど触っているような...)スポットをしている。それもそのはず、クラッシュパッドがないのだから、かぶった壁面ですっぽ抜けたらそのまま地面に背中から落下するしかないのだ。





日本では、草野俊達氏や室井登喜男氏がノーマットで様々な岩場を開拓したと言われている。瑞牆など、多くの課題の初登はノーマットだったと言われており、現代のクラッシュパッドを使用した登りとはグレード感も随分と違ったのではないだろうか。事実、ROCK&SNOW 59号」の記事「下地に問われるもの」で、室井登喜男氏は「マットなしで初登された課題を、マットを使って再登して悔しくないのか?」という一文を書いている。これは初登者としてのメッセージであり、多くのクライマーへの招待状なのだろう。また、近年では倉上慶太氏がノーマット・スタイルのボルダリングを積極的に行っている。


ということで、実際にノーマット・クライミング+スポット無しを実践してみた。比較的突起物の無いランディング+被っていない+1級程度の課題を何個か探し出してトライ。1つは、カチ系の課題で、核心ムーブは3mほどの高さにあるカチからハイフットでガストンを取りに行くムーブ。少し勢いをつければ簡単に出来そうなムーブだが、マットが無いとなるとどうも踏ん切りがつけれない。そこで、できる限りスタティックなムーブでトライすることにした。いつも以上に腰、背筋、肩に力が入るのが伝わってくる。8トライほどしてようやく完登。ムーブがスタティックになっている分、体感グレードは1つ上くらい、簡単な初段課題に感じた。初登にマットが使用されたかは知らないが、時代的に見ると、すでにクラッシュパッドが普及していた頃に初登された課題だろう。

とにかくマットが無いと怖い。そんなに激しい落ち方をする課題では無いものの、自らの限界をひしひしと感じることができた。普段のムーブがいかに力や勢いに頼っているのか、そんなことを見返す良い機会になった。そして、登りきった時の達成感が普段の倍くらい気持ち良い。まさしく、「岩と生身の人間」の挑戦に勝ったというような感覚。この達成感は忘れられないものになりそうだ。そして、頂上からの眺め。下には、何もない。あるのは登攀という行為の軌跡だけだ。「このクライミングはフェアだった」そんな感覚が身体を満たした。もう少し修行を積んで、少しずつノーマット・クライミングを進めていきたいと思う。

そして、さらに良かったのは、岩場にマットを持っていかないことの身軽さ。これは本当に素晴らしい。今や一般的になってしまったクラッシュパッドの使用だが、今一度考え直してみるのも良い機会かもしれない。こんなに身軽に行けるなら、海外遠征だって容易い。

ただ、ノーマット・クライミングを進めていくのであれば、それにあったシューズ選びも必要なのかもしれないと思った。とにかく、普通のクライミングシューズは小さすぎ、底が薄すぎて着地が痛い。普通にジャンプしただけでも怪我しそうだ。もう少しアプローチシューズ的なもので登った方が良いかもしれない。あるいは、よりフェアなボルダリングを目指すなら、ノーシューズ、ノーチョークというのも、考えてみるべきなのかもしれない。より、クリーンでフェアなクライミングを目指して、まだまだ岩道の挑戦は続く。