孤高のクライマー:ウォルフガング・ギュリッヒ


どこのジムでも見かけるこの写真、ウォルフガング・ギュリッヒ(左)とカート・アルバート(右)


ウォルフガング・ギュリッヒ(Wolfgang Güllich)。彼の名前を知らずにクライミングを語ることはできないだろう。キャンパス・ボードの生みの父であり、世界最初の9a(5.14d)課題『アクション・ディレクト』の初登者、唯一無ニの孤高のクライマーだ。多くのクライマーが憧れる、ウォルフガング・ギュリッヒ氏について恐れ多くも書いてみたい。



クライミング後の珈琲とは、クライミングにとって必要不可欠な要素である。


もし、クライミングが芸術(アート)であるならば、創造性が最も重要な要素ではないか。




このふたつの言葉だけを聞いても、ウォルフガング・ギュリッヒというクライマーがどんなクライマーだったのかを少しは想像することが出来るのではないだろうか?1960年西ドイツ生まれ。いかにもドイツ人らしい、カフェの時間を大切にし、クライミングの創造性を重視し、そして単に体を動かすだけでなく、頭を使って熟考してゆく、そんなクライマーだったのではないだろうか。13歳からクライミングを始め、その頭角をすぐに表す。16歳の若さで南ドイツでJubiläumsriss VIIを初登。当時、エアランゲン・ニュルンベルグ大学で教鞭をとっていたユルゲン・ワイネック教授とともに、スポーツ科学を下地とした様々な新しいトレーニング方法を考案し、肉体改造を行った。



その後、フランケン・ユラに移り住み、開拓に多くの時間を注いだ。現在、多くのクライマーを排出するドイツのジムCafe Kraftの名前は、もともとフランケンユラにあったレストランの名前から取られているそうだ。珈琲が好きだったというギュリッヒの影響も伺える。1980年代のフランケンユラでは、ウォルフガング・ギュリッヒ、カート・アルバート、ノルベルト・サンドナーと当時の有力なクライマーがシェアハウスをしており(当時「ホテル・フランケンユラ」と呼ばれていたらしい)、世界中のクライマーがその地を訪れ、お互いを刺激し合い、交流を深めていた。



そのような時代背景の中で、ギュリッヒはスポーツ・クライミングのグレードを一気に4つも推し進めることに成功した。1980年代当時、世界最初の8b(5.13d/Kanal im Rücken)、8b+(5.14a/Punks In The Gym)、8c(5.14b/Wallstreet)、そしてかの有名な9a(5.14d)『アクション・ディレクト(Action Directe/1991)』を初登した。この、アクション・ディレクト初登のためにギュリッヒ自らが開発したトレーニング方法が、現代のキャンパスボードの基礎、特に一本指ポケットによる懸垂だった。ここに、スポーツ科学を応用したトレーニングを推し進めていたワイネック教授の影響が色濃く見える。


ご本人の動画がないので、第16登になるルスタム・ゲルマノブ氏の完登動画を。




脳はクライミングで最も重要な筋肉だ。

なぜクライミングをするかって?それは楽しいからだよ。


また、世界中の岩場を回っていたギュリッヒは1986年にはヨセミテでSeparate Reality(7a/5.11d)のフリーソロを行っている。イギリスでの落下事故による怪我から回復してすぐのことだった。(近年、ディーン・ポッター、アレックス・ホノルドなどが同課題をフリーソロしたことでも知られている)


『アクション・ディレクト(Action Directe/1991)』初登のわずか1年後、ドイツの高速道路オートバーンを運転中に不慮の事故で亡くなってしまう。警察によると、事故の原因は居眠り運転だったのではないかと結論付けられた。1990年に結婚してからわずか2年で帰らぬ人となってしまった。。。

どうか、天国でも美味しい珈琲を飲んでいただきたい。
なかなか本人の登っている良い動画がネット状にないのですが、以下のビデオを参考に貼っておきます。なお、引用文は全て岩道なりの英訳・ドイツ語訳になります。