鳳来・イニシエーションがチッピング被害か!?



再び日本のクライミングシーンに不幸なニュースが流れた。鳳来・イニシエーション(三/四段)がチッピング被害にあったというニュースだ。鳳来では以前からいくつかの課題でチッピングの被害が報告されており、またアクセス問題もかつて発生していたが今回は別物のようだ。初登者の小山田大氏FaceBookによると、各ホールドの壁際(内側)がえぐられるように削られおり、明らかにホールドを持ち易くする/課題を優しくする意図が見えるとのこと。このニュースを聞いたとき、「またか」と思ったのと同時に「なぜまたそんな高グレード課題で...」という疑問が浮かんだ。




私自身も同グレード周辺をトライするクライマーとして、そこまでたどり着くのに長い道のりがあることは容易に想像できる。短くても5年以上のクライミング経験年数がないと、同程度のグレードをトライするのは難しいだろう。それまでにもいくつかの壁にぶち当たり、トレーニングをすることによって自らを高めてきたクライマーなのではないかと想像できる。ジムであれば初段・2段程度はサクッと登れるような強いクライマーなのだと思う。


そんな高グレード課題に取り付く、比較的強いクライマーが、なぜチッピングに走ってしまうのだろうか。もしかしたら今回のチッピング犯も「チッピングしてはいけない」ということは理解していたかも知れない。ただ、どうしてもチッピングに走ってしまった己の嫉妬心、エゴ、プライドみたいなのがあったのではないかと思う。


おそらく最初からチッピングしたのではないだろう。同課題への憧れもあったのだろう。何度か通いトライを重ねたがどうしても登れず、「鳳来のコンディションのせいだ」とか「鳳来の岩質ならこれくらい欠けるだろう」という考えが増大してチッピングに走ったのではないかと思う。もしかしたら、知人クライマーが先に登っていて、「早く登らなくては」というプレッシャーを感じていたのかも知れない。あるいは単に最高グレードを更新したかっただけかもしれない。己の葛藤の中で道を踏み外し「祟り神」としてチッピングをしてしまったのだろう。(今回の犯人が他の周辺エリア/下呂や豊田と同一犯でないことを願います)


「チッピングをやめろ!」ということは簡単だ。ただ、これだけ日本中でチッピングのニュースを聞く昨今、私は別の疑問が浮かんだ。そもそも、「自らの限界を押し上げる=高グレードを登る」というクライミング界の潮流そのものが、その歪みとしてチッピング犯を作り出してしまっているのではないかということだ。そして、近年のSNSやYOU TUBEがその一躍を買っていることも容易に想像ができる。SNSやYoutubeで「誰々がどの課題を登った」と言う情報は毎日更新され、それは大きな嫉妬、エゴとなってどこかのクライマーの中で少しずつ、少しづつ大きくなってゆくのだ。残念ながら、それはもしかしたら、未来のあなた/私なのかも知れない。


確かに、あらゆるスポーツは人類の限界へと挑戦してゆくものだろう。クライミング界のチッピングは、例えるならば、陸上競技のドーピングに似ているのではないかと思った。自らの限界を押し上げてゆくことへのプレッシャー、嫉妬、エゴ、プライドが一流の陸上選手を時としてドーピングに走らせる。それはまさしく陸上界のルールやモラルを破ることであり、その責任は全て自分に降りかかってくる。しかし、ドーピングで手の及ぶところは自身の身体や付随する用具(シューズの改造など)であり、陸上トラック自体へは及ばない。しかし、外岩のクライミングでは、その矛先が陸上で言うところのトラック、「岩」に及んでしまうのだ。

身体へのドーピングであれば勝手にやってくれれば良い。外岩のクライミングでドーピングしちゃ駄目なんて聞いたことはないし、誰もチェックしない。おそらく多くのクライマーはドーピングチェックがあればどっかで引っかかってしまうだろう。君がそれで良いなら、それで良いのだ。しかし、チッピングは違う。それは、皆が使っているトラックを意図的に改ざんして走りやすく/記録が出やすくするようなものだ。そして、一度チッピングされた岩はもう二度と戻ってこない。その課題に魅せられて、何年も何年も通い続けているクライマーがいる、何年もかけて初登したクライマーがいる、将来のクライミング人生の目標にしているクライマーがいる。それを忘れてはならない。それはあなたの為の課題では無い、あなたの欲求を満たすための岩ではないのだ。自然が皆に平等に分け与えてくれたプレゼントなのだ。そこに、「皆で楽しむために」グレードが付加されたにすぎない。






近年、オリンピックを見越して大量に増えたクライミングジムでは当たり前のように「コンペ」が開かれている。それもまた「楽しむため」の催し物なのだが、クライミングとは決して他者と競い合うためだけのものではないことも周知してゆかなくてはならない。外岩のクライミングで立ち向かっているのは、己の限界としての壁・岩なのであり、決して他のクライマーではないのだ。それをコンペ形式によって、意図的に「他者と戦わせるクライミング」を潮流としてゆく現在のクライミング界自体が、その歪みとしてチッピング犯を排出してしまっているような気がしてならない。

要するに、ジムでのクライミングと外岩でのクライミングがどこか並列に認識されていて、「自然」だとか「人工」であることがないがしろにされてしまっているのではないかと思う。コンペや人が競う合うことが悪いわけではない、ライバルがいることによって自らを伸ばすこともできるだろう。しかし、「最高グレードを更新することが、強くなること」では決して無い。そして、その最高グレードを他者と競い合うことがだけがクライミングでは無い。

確かに、チッピングはチッピング犯個人の精神の弱さの問題(ルール破り)であり、クライミング界のせいでは無いかもしれない。

それでも、「身体的には強いクライマーなのに精神的に未熟なクライマー」を大量に排出しているのは、現代のクライミング界にあるのでは無いかと考えている。そういったクライマー(未来のチッピング犯になり得る)を多数排出してしまわないためには、クライミング界の末端にあるクライミングジムの方々の協力・意識改革が必要なのでは無いかと思う。

近頃はクライミング雑誌とか文献を読みあさるクライマーも少なくなっているのでは無いかと思う。「文化」としてのクライミングがどこかで置き去りにされ、競い合う「スポーツ」としてのクライミングが広く認識されている。「チッピングは駄目」とか「取り締まりを厳しく」と言うのは簡単だ。でも、それでは決して外岩のチッピングはなくならないだろう。その末端の、意識改革が行われない限り。では、どうしたらチッピングという愚かな行い、「祟り神」の根を絶っていけるのか。

唯一、岩道なりに考え出すことが出来たアイデアはたったひとつだ。クライミング界の末端を担うジムの方々にお願いしたい。

「ジムにクライミングの書棚を作って欲しい」

それは、単にクライミング・ハウツゥー本ではなく、「人がなぜ岩を登り、人がなぜ山を登るのか」そんな哲学を考えさせられるような本を置いて欲しい。そしてそれを、日々目の留まるところに、お客さんがパッと手にとって、パラパラとめくれるところに置いて欲しい。文化としてのクライミングを深めることによってのみ、唯一、チッピング行為の減少を望めるのでは無いかと思う。チッピング禁止は現在のクライミング界のルール・モラルであるだけでなく「美意識」であり「哲学」なのだ。クライミングを始めた当初から、そういったクライミングの文化的側面にも触れることができる機会を与えることにより、チッピングの根はすこでも断つことができるだろう。

それは本当に草の根活動だと思う。何年も、何十年もかかるかもしれない。それでも、「あれ、このジムには書棚ないんですね?」と当たり前のようになる日がいつかくれば、ほとんどのクライマーが「アローン・オンザ・ウォール」を当たり前のように読んでいる日がくれば、チッピングは少しでも減っているのではないかと思うんです。

ぜひ、「ジムにクライミングの書棚を!!」



そして、ここで再び「
岩道修錬の心構え」を。 


岩道を正しく真剣に学び
心身を錬磨して旺盛なる気力を養い
岩道の特性を通じて礼節をとうとび
信義を重んじ誠を尽して
常に自己の修養に努め
他者を敬い
以って自然を愛して
広く人類の平和繁栄に
寄与せんとするものである